この度、小山内美江子(おさないみえこ)先生に千厩国際倶楽部へお越し戴き、先生のご講演を中心に自立支援シンポジウムを開催しました。
小山内美江子先生は神奈川県横浜市鶴見区のご出身で、初めて脚本を手がけられたのは、
1962年2月10日放送のNHKのテレビドラマ「テレビ指定席」枠の『残りの幸福』でした。
その後、作品の中には、教育や子育てへの思いを込めたものがあり、『3年B組金八先生』をはじめ誤算シリーズ(『親と子の誤算』『父母の誤算』)などのテレビドラマによって、
教育界でも有名になられました。
お話の中で、金八先生のストーリーはフィクションではなく、全てご自身の体験からの実話をヒントに書かれたもの、
金八先生の発言はご自身の意見を代弁してもらったようなものですというコメントがあり、一同改めて印象を深くしました。
1990年8月イラクがクウェートに武力行使して湾岸戦争が勃発し、
7人の小山内先生グループがヨルダンの難民キャンプで顔のみえる活動をされたことがきっかけでJIRACを結成、
1991年イラン・イラク国境にてクルド難民救援、1992年から1993年カンボジア・タイ国境にて、
学生たちとともにされたカンボジア帰還難民救援活動の様子等を、シンポジウムでは詳しくお話下さいました。
難民救出が終わった後、今度は子どもたちのための学校建設の必要性を強く実感され、
1993年9月15日にJIRACの中から「カンボジアのこどもに学校をつくる会」を設立。
1997年4月より会費会員制に移行して、「JHP・学校をつくる会」に改称し、これまで317棟の学校を建設されました。
しかし、学校施設だけの提供に疑問を感じ、教育内容まで踏み込まれたかったそうですが、
カンボジア政府が受け入れに難色を示されたとのお話で、ただし、音楽と美術に関してだけは関与することができ、
日本から楽器(ピアニカや足踏み式のオルガン)を送って、音楽教師の育成や、音楽コンテストを開催。
美術教師の育成、巡回絵画展、美術教材支援を行われているそうです。
支援活動では、大学生など日本の若い世代の地球市民教育を目的にカンボジアへボランティアを派遣しているが、
日本で勉強しているだけでは学べない「ペンキ塗り」や「クギ抜き」など生活に密接したことも学べ、
つらい苦しい仕事を乗り越えたことから真の友人を得ることもできるなど、若い人達にはぜひ積極的に参加して欲しいといわれています。
ボランティアを経験した学生の中には、卒業後報道の道を目指してNHKで撮影を担当している人、
NHKを止めてBBCへ移籍するなど学生たちの目標となる人も出てきているそうです。
また、学生と動くことで、学生が学び自分も学ぶことができ、人と人とのつながりができたと語って下さいました。
● シンポジウムをとおして
先生が千厩(せんまや)にいらしたのは初めてなのですが、カンボジアの風景と千厩周辺の風景に共通する点があり、
懐かしさを感じますとのコメントから始まったシンポジウムでしたが、
小山内先生も午年(うまどし)とのお話があり、かつて義経(よしつね)の太夫黒(たゆうぐろ)が産まれたとの伝説のある千厩の皆様に親近感を感じて戴けたようです。
東日本大震災の際には、カンボジアへのボランティア活動に参加した経験のあるメンバーが小山内先生と共に、すぐに動き出されたそうで、
当時は京都にいらした渡瀬恒彦(わたせつねひこ)氏に依頼して1000個のカップ麺を用意してもらい、東北に駆け付けられたそうです。
沢山の人からの協力を得て25年もの間、ご寄附にしてみれば20数億円になるかもしれませが、
その様な大金を集められて学校作りに貢献なさってこられた活動に、心からの敬意を表したいとの代表理事の挨拶がありました。
連帯東北・西南はボランティアとして被災者に寄り添った自立支援を主眼に活動を続けてきたが、
途中から過疎化の進む東北の村々の活性化にも貢献したいとの説明がされ、
小山内先生にも千厩を覚えて帰って戴き、千厩の活性化の為に、
次に脚本を書かれるときは是非とも千厩を舞台にして欲しいとのお願いがユーモラスにされました。
シンポジウムの後には、小山内先生を囲んで夕食会を開催し、皆様互いに自由にお話し戴き、
小山内先生との一時を楽しんで戴きましたが、「若い人は勉強だけでなく、ボランティア活動での人とのつながりを通して、人間として成長してゆくことがとても大切である」
と小山内先生はお教え下さった次第です。